6月
院長のつぶやき(12):6月1日
<私の略歴>
おはようございます。風薫る5月でなく真夏のような5月が終わり6月となりました。梅雨入りももうすぐですが、今月も頑張っていきましょう。
さて今月のつぶやきですが、私を知ってもらう意味でも、少し私の経歴を述べてみたいと思います。
私は、昭和24年大分県で生まれ、今年70歳となりました。高校までを故郷大分で過ごしたのち、これまでに3回の職業を経験してきました。
最初は自衛隊です。18歳から55歳までの37年間勤め定年で退職しました。この間、10回以上の転勤と引っ越しを繰り返し大部分は北海道勤務ですが、内地(本州)勤務も10年ぐらいあり、全国を旅したという印象です。自衛隊生活で得たものは、それこそ山ほどありますが、突き詰めて考えれば「国のために死に、家族のために生きる」という生き方でしょうか。
次が損保会社です。55歳から63歳までの8年間勤め、ここも定年で退職しました。初めての民間企業勤務でカルチャーショックもありましたが、今までの柵の中での限られた人間関係だけでなく示談交渉という人間の素が出る場面で、人間的にも精神的にも鍛えられました。
8年間でトータル1,000人超の被害者(死亡事故を含む)との示談交渉に明け暮れ、被害者の自宅で数時間の軟禁状態の中で交渉をしたこともありました。でも民間企業ということもあり、自衛隊での精神的に拘束された生活よりも自由度はあったように感じます。
損保会社で2回目の定年を迎えた時には、すでに63歳になっていましたが、一生続けられる仕事はないかと柔道整復師を目指すこととし、それから柔道整復師専門学校に3年間学び、無事柔道整復師免許を取得し、介護施設で3回目の就職をすることとなりました。
ここでは娘と同じ年齢の優しい先輩(?)の厳しい指導の下、学校出たばかりの「零」からの出発でしたが、文字通り手取り足取りの指導を受け、技術の習得と上達を図ることができました。
ここではそれこそ毎日死ぬ思いをして業務をこなしていました。毎日帰宅して妻に言ったのは「今日も生きて帰ったぞ!」という言葉でした。このような勤務を続けながらもなんとか技術の向上が見られ、どうにか2年半勤務を続けられたのも先ほどの先輩の指導があったおかげと本当に感謝しています。この職場を2017年に退職し、1年間の準備の後、2018年7月に開業し現在に至っています。
この様な経験で年を取っていますが、気力、体力的にもまだまだ現役真っただ中と自負しています。医療分野は日進月歩で多種多様の理論や技術とやり方があり、情報も氾濫しています。これからも知識の習得と技術の向上に努め、自分のスタイルを確立し皆様に「癒しとリフレッシュ、コリと痛みの緩和」を提供できるよう“心のこもった施術”を心がけていきますのでぜひ一度ご来院してみて下さい。