2024年3月
院長のつぶやき(69):3月1日
<「切腹」について考える>
おはようございます。2月は-14度まで寒くなったり、プラス8度まで上がったりと寒暖の差が激しく体調管理が大変でした。3月に入り、本当の春が来るのでしょうか?
さて、今日は日本独特の「切腹」についてつぶやいてみたいと思います。
「切腹」と言えば、忠臣蔵の四十七士の集団での「切腹」が有名ですが、先日妻と一緒に「身代わり忠臣蔵」の映画を観てきました。映画の中では切腹シーンはあまりありませんでしたが、切腹について以前から考えていたことを述べてみたいと思います。
1つは、切腹は「刑罰」か「自殺」かと言うことです。
忠臣蔵では、浅野内匠頭が切腹させられました。また大石内蔵助以下四十七士が、謀反の罪で打ち首のところを市中の庶民の「仇討ち感情」を考慮し、刑一等減じられ切腹となりました。
その他にも刑罰での切腹は数多くありますが、江戸時代までの武士の世界では、主君に忠あらんと切腹した家臣は数多くいます。腹を切ることは武士の世界ではごく当たり前のように行われていたようです。
武士に限らず、明治になってからも明治天皇の崩御に伴い乃木将軍が、終戦に伴い阿南大将が切腹で自殺しています。一番近い例では、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で盾の会会長として割腹自殺をしています。
腹を切って死ぬなんて、なんで痛い思いまでして死ぬのか?自殺としての「切腹」は、なかなか理解できないところです。刑罰としてならまあ仕方がないかとあきらめて腹を切るかもしれませんが・・・
2つ目は、なんでこんな痛い思いをして死ぬやり方が日本で生まれたのか?です。
自殺(自分の意思で自分を殺す)のやり方はいろいろあります。銃殺、首つり、飛び降り、一酸化炭素中毒、服毒等々。
その中で「切腹」と言う痛い思いをして死ぬやり方が、なぜ日本でそして、武士の世界で生まれたのか?
これは武士道そのものにかかわってくる本質的な問題でしょう。宮本武蔵が著した「葉隠れ」に「武士道とは死ぬことと見つけたり」という有名な言葉があります。
「死」と言うものを極めた結果、楽に死すより胆力を試すためにも腹を切って死ぬことが、一番武士らしい死に方になったのではないかと思います。
今も良く言われるのが責任を取る時「腹を切って責任を取る」、またお詫びする時「腹を切ってお詫びをする」など言いますが、本当に腹を切ることはなく、譬えてして定着しています。
今の私には、腹を切るなど、とてもその胆力も勇気もありません。
映画を見て、切腹について改めて考えさせられました。