2023年4月
院長のつぶやき(58):4月1日
<最近の葬儀に参列して>
おはようございます。
WBC盛り上がりました。まさか優勝をして世界一なるとは・・・、願ってはいましたがあまり期待が大きすぎてはと・・・、心の片隅では勝ってほしいけど負けるかもしれないと・・・、そのような不安持っていましたが・・・。
試合を重ねるごとに強くなり、そのような不安を打ち砕き、どんどん素晴らしい試合を見せてくれました。特に、準決勝、決勝はどんなすばらしい脚本家が考えても書けないストーリーを作り上げ、劇的な勝利を収めました。
侍J、本当におめでとう。本当にお疲れ様でした。夢と興奮と喜びを与えてくれて本当にありがとうございました。
さて今日は、最近参列した葬儀について感じたことをつぶやいてみたいと思います。
1つは、「通夜・葬式(随時)」ついて
コロナ禍以降、北海道の葬儀も様変わりしました。新聞のお悔やみ欄では、通夜・葬式の後に、(随時)の言葉が付くようになりました。
これは「香典をいただければ、線香をあげるだけで、後は葬儀の参列は不要で随時お帰りください。」とのことのようです。今流行りの家族葬だけでは、遺族の葬式代がかさみます。
少しでも香典が入れば遺族にとってありがたいことなのです。約2か月前に一般会葬者として通夜に行き、まず香典を納め、焼香後喪主に挨拶をして帰りました。これで故人への弔いとなるのかな、逆に一般会葬者はこれでいいのかなとか考えさせられながら帰りました。
2つ目は、親族として参列した葬儀での出来事
先月は、親族として葬儀に参列しました。新聞お悔やみ欄は、「通夜・葬式(随時)」にかかわらず、今までと同じような儀式が執り行われ、最後まで参列しました。
お坊様を呼び読経もありましたが、そのお坊様が入場してきてビックリ、なんと、若くて長髪でかってのグループサウンズかと見間違うような風貌でした。
読経に入ってからも、もちろん読んでいるお経の意味など分かりませんが、甲高い声で「阿~弥~」、「阿~弥~」、と繰り返しているのだけは聞き取れました。
次の日の葬式では、一旦入場後、何か忘れ物をしたらしく、取りに帰る不手際がありました。でも戻ってくるなり何食わぬ顔をして、例の甲高い声でお経を読み始めました。
「ご導師様入場」と司会が言って入場しましたが、これであの世に間違いなく導いてくれるのか疑問に思いつつ読経を聞いていました。
死への考え方や葬式の在り方が変わってきた今日、自分の死が近づいてきて、自分の死に方や葬式の在り方を改めて考えさせられた葬儀でした。