2022年9月
院長のつぶやき(51):9月1日
<共産主義と時間走>
おはようございます。ロシアがウクライナに侵攻して6ヶ月が経ちました。毎日罪のないウクライナ市民が悲惨な戦争の犠牲となっている現状は、見るに堪えられません。一日も早く戦いが終わり、ロシアに侵攻される前の平和な状態に戻ってほしいと強く思います。
さて今日は、そのロシアの前身・ソ連がとっていた体制である「共産主義」についてつぶやいてみたいと思います。
「共産主義」についてはいろいろ教えられたり、解説されたりしていますが、私なりの解釈は、イメージ的には「時間走」を走らされている状態ではないかと思えます。
走る練習をする時、「距離走」と「時間走」があります。「距離走」は、例えば10㎞走やマラソンなどで、ゴールを目指して自分の全力を出し切って走る。一定の距離に対し自分の能力を最大限に発揮させるやり方で、一般的にはこの方法の方が多いと思います。これは自由競争と能力格差を認めた練習で、いわば「自由主義」的でしょう。
これに対し、持続力をつけるためか、「時間走」をすることがあります。ともかく一定時間をかけて走り続けるやり方です。たとえ本人が速く走ろうが、のんびり走ろうが一定時間走り続けなければなりません。
しかし、この方法だと、ほとんどの人がダラダラと走るようになると思いませんか?
どんなに一生懸命走っても早く終われるわけではなく、テレテレ走っていても終わる時間が一緒では真面目に走っていることが馬鹿らしく感じてしまうでしょう。時間は一種のノルマで、「時間走」のこのことが、「共産主義」に似ていると思うのです。
共産主義:一生懸命働いても、サボっても給料は同じ→それでは皆サボりたくなります。
時間走:一生懸命走っても、テレテレ走っても規定時間が来なければ練習が終わらない→真面目に走るのが馬鹿らしくなります。
「共産主義」も「時間走」もいいところもあるのでしょうが、自分の能力を自由に発揮できないことが最大の欠点だと思います。
それでもなお共産主義が廃れることなく、世界にはまだ共産主義に近い権威主義的な国家が存立しているところを見ると、まだまだ私の知らない何か良いところがあるのでしょう・・・。
今日は一見何の関係がないように見える「共産主義」と「時間走」を較べてみましたが、ちょっとこじつけ感が強いかな・・・?