2022年8月
院長のつぶやき(50):8月1日
<親の教え>
おはようございます。コロナの第7波の大波が止まりません。連日20万人という信じられない感染者数が報告されています。
先日のWHOの報告によると、日本の感染者数が世界で一番多いとのこと。外国に比べ、ほとんどの人がマスクをし、手指消毒もしっかりして予防していると思うのですが?
これだけ多くの感染者が出ることも、「逆日本人特殊ファクター」なのかな?
ともかく早く収束して、コロナ禍前の生活に戻りたい。
さて、今日は、「親の教え」についてつぶやいてみたいと思います。皆さんは「親の教え」と聞いてどのような教えを思い浮かびますか?
親の教えとして、明確に言葉に残して教えられたことは少ないかもしれません。よく言われる「親の背中を見て育つ」ことの方が多いかと思われますが、それでもいくつかは親からの教えはあろうかと思います。
私の場合、「五人は知っている(天知る地知る・・・)」や「その場になくてはならない人になれ」など以前にも紹介しました。
この他にもよく聞いたのが、「親の話と茄子の花は万に一度も仇がない」や「七たび探して他人(ひと)を疑え」などもありました。
そうした中で今日紹介したいのが、「いつまでもあると思うな親と金、ないと思うな運と災難」です。これの意味するところは明確ですが、経験を通じこの通りだと実感しています。
すでに両親は他界しており、若い頃は親についてあまり考えたことはなかったなと反省しております。お金についてもこの通りで、あっという間に無くなります。
約20年ぐらい前に自衛隊を定年退職して退職金をもらいましたが、どこでどのように使ったか、さっぱりわからないうちにほとんど雲散霧消してしまいました。親と金はつながりませんが、この2つはいつまでもあると思ってはいけないものの典型でしょう。
後半の運と災難は、逆にないと思ってはいけないものの典型でしょう。運はめったにめぐってきませんが、巡り合ったらうれしいものです。
問題は災難です。いつ・どんな災難があるかわかりません。私なりに考える重大なのは、「事件」・「事故」と「災害」の3つです。この3つはいつ遭うかわかりません。それこそ神のみぞ知るです。
私は、毎年の初詣において、神様に「家族の健康」と合わせて「事件・事故・災害に遭いませんように」と祈っています。お陰様で小さいものはありますが、大きな事件・事故・災害に遭うこともなく過ごせています。神様に感謝・感謝です。
皆さんも、親とお金はいつまでもあると思わずに、また運と災難は無いと思わずに常に起こり得るものだ、という気持ちで日々過ごしてほしいと思います。