2021年5月
院長のつぶやき(35):5月1日
<違った「中華思想」>
おはようございます。新型コロナウイルスに対する非常事態宣言が、またまた出されました。「またか」という感じは否めませんが、ワクチンが行き届くまではこれの繰り返しになるのでしょうか?
私個人としては、ともかく三密を避ける、不要不急の外出はしない、手洗い・うがい・マスクを心掛けるだけですが・・・
さて、今月は、「中華思想」についてつぶやいてみたいと思います。
「中華思想」といえば中国のことですが、中国は今や世界の覇権国家を目指し、その発展には目を見張るものがありますが、根本的な考え方に「中華思想」があります。
「中華思想」といえば皆さんご存じの通り中国が昔から持っている考え方で、「中国が世界の中心」という中国中心主義のことです。
ところが、私が中学生の時の社会科の授業で「中華思想」を習ったとき、担任の先生は、「中国では花(華)は、満開よりも満開になる前の状態が一番いいと考えている。満開になれば後は散るだけだから、これを「中華思想」と言って中国では重視している」と教えてくれました。
(ひょっとしたら、私が間違って覚えたのかもしれませんが)
その時私も妙に納得し、「中華思想」(中くらいの華思想)は素晴らしい考え方だと思うようになり、「自分は満開を望むことはやめよう、中くらいの華の咲くところで満足しよう」と思うようになりました。
しかし、後々勉強していくと「中華思想」は、「華夷思想」と同じで、「中国が華(文明)の中心の国であり周りは夷狄として野蛮な国扱いしていく思想」であると知りました。
でも、中学で習った「中華思想」の解釈のほうが自分なりに納得できており、それ以来「満開よりも中くらいの華で生きよう、それのほうが伸びしろがある」と思うようになって生きてきました。その結果が現在の私になるわけですが(よかったのか、悪かったのか)
今では「中華思想」の違った解釈(もちろん、私が間違って覚えた可能性も否定できませんが)を教えてくれた先生に対して、恨むつもりは毛頭ありませんし、かえって私の生き方に示唆を与えてくれたことに感謝しています。
中国の「華夷思想」のような自分中心主義の「中華思想」はいただけませんが、「中くらいの華」の「中華思想」は、生き方としてありだと思います。
もちろん努力して満開を目指すことは重要なことですが、「中くらいの華」で生きていく生き方もまたいいものですよ。