2021年3月
院長のつぶやき(33):3月1日
<「吾唯足るを知る」>
おはようございます。
新型コロナウイルス感染が少しだけ下火になってきました。このまま新規感染者が減少し、ワクチン接種が進み、第4波を抑えられれば万々歳ですが、はたしてどうなるでしょうか・・・?
さて今日は、「吾唯足るを知る」について、つぶやいてみたいと思います。
この言葉を知っている人も多いと思いますが、私はこれを若い頃(学生時代?)に日本三名園でもあり、梅で有名な水戸の偕楽園で知りました。
偕楽園内の黄門様で有名な水戸光圀公にいわれのある屋敷で、『口』の字を大きく真ん中にし、上に『五』の字、右に『隹』の字、下に『疋』の字、左に『矢』の字を描いた洗面器のようなものがありました。
「これはなんだろう?」と思って傍にある注釈を見ると、口を共通に「上→右→下→左」と右回りに読んで、「吾唯足るを知る」と読むことを知りました。
水戸光圀公は、この口の部分に水を入れ、便所の手水に使用し、用を済ませた後、手を洗う時、この「吾唯足るを知る」を唱え、自戒していたそうです。
当時妙にこのことに納得し、それ以来私の自戒の言葉にもなっています。妻がいろいろな記念日などに、「プレゼント何がいい?」と聞かれた時、基本的に「物欲なし」と答えていますが、これもこの「吾唯足るを知る」が影響しているかもしれません。
後日(数十年後)、この「吾唯足るを知る」が、石庭で有名な京都の龍安寺の『蹲』に使われていて、こちらのほうが有名であることを知りました。(実際は、石庭があまりにも有名で、この『蹲』はあまり知られていないかもしれませんが・・・)
でも私には、水戸の偕楽園で見た『手水鉢』の方の印象が強烈で、出自はこちらではと思っています。
現在日本では高度経済成長期を経て、物が溢れ、経済大国になり、望めば大部分のものが手に入るようになりました。
「あれが欲しいこれが欲しい」、「あれがしたいこれをしたい」などと欲が出るのが人間の常ですが、100%望みが叶うことはそう多くありません。欲望はエスカレートしていきます。
望みが叶わなければ不平・不満が募り、心の安らぎは得られないでしょう。今が一番いい状況ではないかもしれないが、不平・不満を言わず、与えられた現状を受け入れることも処世術には必要かもしれません。
今置かれている境遇を認め、「吾唯足るを知る」の精神を今一度思い起こしてみてはいかがでしょう。