2021年2月
院長のつぶやき(32):2月1日
<「青春度」のバロメーター>
おはようございます。
新型コロナウイルス感染が騒がれ始めて1年が過ぎ、全世界の感染者は1億人を超えました。いい加減嫌になります。コロナ前のようなまともな環境は戻ってくるのでしょうか?今の状況を見る限りコロナが収束しても、到底昔のようになるとは思えませんが・・・。
さて今日は、「青春」についてつぶやいてみたいと思います。
以前妻との会話の中で「青春」ということが話題となりちょっと話が弾みました。皆さんは「青春」と聞いて何を思い浮かべますか?
古い人は森田公一とトップギャランの「青春時代」を思い出す人もいるかもしれません。
また、「青春ど真ん中」や「青春やネ」と日常的に会話の中に使っている人もいるかもしれません。
私は、「青春」という言葉を聞くとサミュエル・ウルマンの「青春とは」を思い浮かべます。と言うのも若い頃このウルマンの詩の一節「青春とは人生のある時期をいうのではなく心の持ち方をいう」を聞いて違和感を覚えたからです。
「それは違うだろう、青春とは「『情熱とか若さ』とか青春時代独特の特徴があるだろう」と思ったからです。また、青春という言葉そのものは、陰陽五行説の「春」の意味であり、年齢的には、15才~29才と言われています。ウルマンの詩は、一種これに対抗しているのかもしれません。
私なりに「青春」という言葉に対しては、「青春度」として温度や人気度と同じようなとらえ方をしてはどうかと思っています。
「青春度」が高いか低いかで、その人の青春を判断するわけです。そしてその「青春度」に、1つのバロメーターをつけるわけです。
私の「青春度」のバロメーターは、「情熱」と「羞恥心」です。
「情熱」はいわゆる「やる気」や「意欲」です。若い時はバイタリティーに溢れています。「青春度」が非常に高いわけです。物事に対し前向きに取り組め、「意欲とやる気」をもって臨めます。この気持ちこそが「青春」だろうと思います。
一方、青春を語るのに情熱だけでは足りません。反対の要素で、情熱の対極にあるのが「羞恥心」です。これも「青春度」の重要なバロメーターです。「若さ=羞恥心」と言ってもいいくらいです。
若い人には羞恥心があります。何かをする時に怖気づいたり恥ずかしがったりします。経験を積んでないので仕方ありません。しかしこの「羞恥心」こそが青春の一番の特徴だと思います。
そしてこの羞恥心が薄れ、なくなることが青春の終わりです。醜い大人のなんと羞恥心のないことか。年をとってもまだ青春と言える人は、この「情熱と羞恥心」を合わせ持っている人だと思います。
わが身に翻って「私はもう『青春』を卒業したのかな・・・?」